大根スピリチュアル

大根スピリチュアル

スピリチュアルが意識高い系の嗜みっぽい位置にあって、なんだか難しそうとか思ってるからその伏線で難しいから意識高い系じゃないと知り得ないものよね的な存在になってるんだと思う。

そう思ってると、実際そうなる。実際は大根みたいなもんだと思うのよね。エッセンスは「大根に学ぶスピリチュアル」からなんだけど、前提があるから時間があればこのまま読み進めてね。

飾りじゃないのよ私は

自分に自信がないから、すご「そう」なスキルを学び、そのスキルを持ってる自分なら自信が持てる、とスキルをアクセサリー的に身飾るものと解釈するから、技術=自分になってしまう。

原発は自分は意識が低いと思い込んで

意識を高く持たなきゃ!から始まって、もっと高めなきゃと自分を追い込んでるから、

一向に達成されない自分でい続ける。

から

難しい。(大丈夫?ついてこれてる?)

自分に自信がないから、アクセサリーで見飾ってしまいたい気持ちはわかるけど、お飾りに気を取られてたら、自分らしさからかけ離れたところで努力して迷宮入りするわけよ。

自然だから良い

自然豊かな庭に突如造花まみれエリアがあると興ざめする。

年中綺麗な花があれば良いでしょ?なんてお気遣いが裏目に出ちゃって、

枯れてるエリアや土の中で静かに眠ってるエリアを造花が彩ってると、なんじゃこれ!って周りをビックリさせるのよね。でもやっちゃうの。分かる。ずっとやってきたから。

枯れちゃったなら対応すれば良いし、土の中で眠ってるなら、その時を待てば良いのはわかってるけど、映えないから彩って状況を隠したくなるのよ。

待ち望んだ開花はもちろん造花に敵わないし、突然の開花に見えたとしても花は自分のスピードで段階を歩んで、ある日咲くのよ。

咲いた途端注目浴びるんだけど、咲く前に根を張って成長してたんだよ。

大根から学ぶスピリチュアル

手のひらサイズの植木鉢で大根は育てにくい。植わってる場所が違うんだから、仕方がない。

で、植木鉢育ちの大根が周りから「ちっちェーな」なんて言われて自信なくすのよ。

自分は大根だって知ってれば、植木鉢じゃなくって畑で育つ方が自分らしく育つってわかるでしょ?

育てるとわかるんだけど、大根ってびっくりするほど強い植物で放置プレーに強い。あれこれ周りに求めないでドンドン大きくなってる姿見ると、適材適所って大事だなーって思うの。

大きくなれば、「存在感ありすぎ」とか「邪魔」なんて言う人も出てくるけど、

その大根なりに思いっきり成長した所で頂いてみなさいよ。そりゃ美味しいし感動だし、おかわり!でゾッコン。癖になるから煮て焼いて生でも素材楽しでしょ?

私、大根です。が周りを喜ばせてましてね。って結果になる。

大根嫌いの人に食べてもらうより、大根大好きなお口に入る幸せって言葉にならない上に害になるはずがない。

そして大根ってアクセサリーにならない。首から大根ぶら下げるオシャレが流行ったら話は別だけど、人の存在って大根と一緒よ。

私の見解ではスピリチュアルって「在り方」で、在り方は目指すもんじゃなく、在り方に還るだけなのよ。

ありのままだから重宝される場所

そもそも大根は色塗っても人参にはならないわけで、冬大根は冬に美味しくいただける。

自分の在り方知ってると、外からどんなアドバイスされようが、「私、冬大根ですから無茶言われましても、ね〜」って自分の種に刻まれたDNAで生きるしかないわけよ。

冬大根の中にもいろんな種があって、煮込みだったり生食だったり漬物、その種からできた大根の得意分野があるけど、たまたま冬に収穫される大根だから冬大根ってカテゴライズされて、料理人のお熱が伝わりやすい生食や煮物用は冬のスター的大根になるのよ。

もしあなたが漬物に適してる大根なのに違う使い方されて気に入られず悲しい思いをしたとしましょ。

周りの期待に添えないからって、漬物用の大根を煮込み用大根に上塗る必要はないし、そもそもそんな努力は全く必要ない。

漬物作りたい人には、とっても重宝されるけど、主流は煮込み大根だからって、自分をマイノリティ化して卑下する必要なんて全くない。

あなたが思うより、漬物用大根の需要はあるしマーケットは莫大。漬物作りたい人の手の上に乗れば思う存分旨味発揮できるわけ。漬物って地味だわ。そんなのキラキラしてないって思ってても、

たくあん、べったら、酢漬け、キムチ、ぬか漬け、味噌漬け、福神漬け。年中無休でスーパーに並んでる上に外食でも自宅でも大根の漬物はどこにである。

その上加工食品だから素材よりも値段がつくし、発酵なんぞしてたら発酵に目がない方から、ある程度の値段でこそ可愛がって貰える。需要が大きい。

漬物用大根=地味ではない。むしろとても旨味ありで美味しい。

堂々と、あなたのままで

養生再会では、自分が何大根かを思い出すことから始めるんだけど、

結論的に、何大根だったとしても良い。

どの大根にも必要な役割があって、もしかしたら今あなたがいる場所ではその役目を果たしきれない事もある。それに気づいたのなら、環境を変えていけば良い。

スピリチュアルは「在り方」を追求する事なんだから

グッズを購入したり、そんな話を聞くだけで変化を怖がりながら、瞑想するなんて迷走しなくて良いの。

何を怖がってんだろ?を明確にして変化させる「自分に」堂々と向き合う事から始まるし、変化している「渦中を」堂々と過ごしてれば、いやでも堂々と在ってしまう。

スピードや過程は人それぞれで当然なわけで、別に大根じゃなくても良い。

カテゴライズで理解しやすい時期にはカテゴライズするけど、そのうち、分類なんてどうでもよい段階にきたらカテゴライズが勝手に止まるわよ。誰に言われなくても。

そしたら、なんでもよかったに気づくの。

そうなれば、善悪も陰陽も男女も国籍も役職も自分の使命さえも、何で在ろうがなんでもOKになるのよ。

好きか嫌いのカテゴライズもなくなる次に、心地いいか心地よくないかが判断基準になる。

これが心地いいから私は選択する

こだわりのコーヒーショップでみんながコーヒー頼んでるからって私オレンジジュース飲んで「いいんです」。

「私」が「今」「選択」していることは、永遠ではない可能性が高いから、

「誰」が「未来」や「過去」をどう「選択」する事も流動的であってもいいんです。

大事なのは、今の自分の選択に、本音本心マジでどうひっくり返しても堂々と「在る」かどうか?ってこと。

何を手にしても心の奥底でずっと自信がないなら、それに向き合えば?そろそろってメッセージなんだと思う。

知らんけど。

 

 

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